2009年03月10日
昭和十六年度濱松市青年學校武道大会
先日ご紹介しました「謎の面」で、
昔のお稽古や大会は外でもやっていたよという
お話をしましたが、こんな古い写真がありました。
ケータイ用
ケータイ用
昭和十六年度濱松市青年學校武道大会 (五社神社)
昭和16年ということは、銃剣術から銃剣道に
名前が変わってすぐくらいのころですね~。
簡単に言いますと、銃剣道という武道は
昭和20年より前のものと、昭和31年より後のものでは
構え方、技、目的などが少しずつちがっているんですが、
最近の銃剣道は、もっとスポーツ的になっているので
昔やってたよ、という人がいまの銃剣道をやると
慣れるまでは、ちょっとやりにくいんですね~。
ケータイ用
こちらの写真は、昭和43年のものです。
白い帽子がなつかしいですね~!
城西(しろにし)のマルエス自動車(オートザム掛川)で
左が山本先生、右が稲垣先生ですね。
山本先生は、掛川西高で銃剣道を教えてらした先生で、
稲垣先生は西高の隣の坂本タイヤ(タイヤガーデン掛川)
で、パンクを直していた先生です。
掛川銃剣道連盟(当時:全日本銃剣道連盟掛川支部)を
つくった先生方です。
古寿母道場ホームページの銃剣道のコーナーにも
紹介されていますように、胴の一部が竹でできています。
ケータイ用
もう一枚。昭和60年の稽古始めの写真です。
※昭和58年夏という表記のものもありましたが、
季節的に昭和60年稽古始め(冬)と思われます。
場所は弥生町公園です。
まだ外”でも”お稽古をしていたころですね~。
昭和60年というと、24年前ですか。
胴も竹で出来ていますが、このころは「お古」を
大事に使っていたころですね。
あ、今と変わらないやっ!
用具を大切に使うことは大事ですよ^^
ケータイ用
昭和63年「勝又商店」
ジャンボエンチョーの向かいにある勝又商店さんの倉庫でも
ずいぶんたくさんお稽古させていただきましたよね~。
まだ、掛川城のなかった時代には
あの山の上の広場も練習場でした。
今でも自衛隊の大会では、あえて外ですることもあるそうですが、
道場では、なにかのイベントでもなければ外ではやりません。
管理人は駐車場でイメージトレーニングをしていますけど(笑)
ところで、室内用の銃剣道のシューズってまだあるんですね!
先日、「ジュウケン」の試合動画で久しぶりにシューズを履いてる
選手を拝見しましたが、もう無いのかと思っていました。
で、結局「面」の話はどうなったのでしょう。
情報求む~!
またまた懐かしい写真面白いですね。
稲垣先生と稽古をしている山本先生は私たちは会った事
ないですよね?さすが掛川銃剣道らしい綺麗な突きを
していると思います!
懐かしさといえば、折れた木銃ですな!
あれは練習をふざけた人しか味わえない衝撃ですっ!!!!!
私もよそ見をしていたら稲垣先生に木銃を叩かれ、
「やいやい、折れちゃった~」と言われたことがあります。
私の記憶では管理人さんは文化センター時代ふざけていたら
稲垣先生に叱られ、木銃折られてボッコボコにされていた覚えが・・・
そのあと黒板の下で泣いていましたよ・・・
今ではこんなに厳しく、優しい先生なんて少ないでしょうね。
当時の銃剣道がどんなものだったのか、
動画で観てみたいですよね~。
掛川の銃剣道の草創期を支えた先生ですね^^
このときのエピソードなども、別の機会に
またご紹介いたしますね^^
昔は木銃がよく折れましたね~。
あれは素材の樫が粗悪だったのか、
はたまた猛稽古だったのか、
どちらもあるような気がしますね~。
ところで、GCさんのおっしゃるエピソード、
実はまったく憶えていません(笑)
GCさんの記憶力には、いつも
感心しますね~。
そうそう!来週の土曜のお稽古に
スペシャルゲストが来場予定ですので
聞いてみましょうか^^